教育地域科学部4年
中塚 直人さん
アメリカ合衆国?オハイオ州フィンドレー大学。人口約4万人のフィンドレー市にあるフィンドレー大学は学生数約4000人の大学です。福井県とフィンドレー大学には交換留学制度があり2007年から毎年一人ずつ奨学生が10ヶ月間の留学をしています。フィンドレー市には自動車部品の日系企業も数多くあり、日本人に対する理解もあり大変留学がしやすい環境にあります。私はフィンドレー大学で奨学生として学部の授業を履修し、様々な活動に参加してきました。良く言えばのんびり、悪く言えば適当に生きてきた私の生活を劇的に変えた留学経験?奨学制度について、少しでも多くの人に知ってもらえればと思い、報告させていただきます。
「英語の勉強」と「ボランティア活動に参加すること」が私の留学の主な目標でした。そこにもうひとつ目標を付け足すことになりました。フィンドレーでの授業が始まる前に、アメリカ人の教授に留学生活を充実させるアドバイスをいただきました。「留学は自分と向き合い自分を成長させるチャンスだよ。”Get Out of Your Comfort Zone - 快適な空間の外へ出ること” この姿勢は留学だけでなく人生を通して、君たちを強くサポートするものになるよ。」この言葉を聞いた時、私は大きな衝撃を受けました。確かに私は日本でComfort Zone、つまり「快適な空間」の中だけで暮らしてきたと気づかされました。この留学は自分を変えるきっかけにできるかもしれないと感じ、「劣等感を感じてしまうような自分を、いい方向に変えたい。素敵男子になりたい!」という目標が私の留学リストに付け加えられました。
「アメリカ合衆国」と聞くと、洋画に出てくるようなブロンドのお姉さんとマッチョなナイスガイを想像していた私でした。しかし実際にアメリカで暮らしてみると移民の人や多国籍のバックグラウンドを持つ人々の多さに驚かされました。フィンドレーでできた友達にも「おじいちゃんがフランス人でお母さんはドイツ人」「両親は中国生まれだから僕が初のチャイニーズアメリカンだよ」といった人が多く、街によってはアジア系の人々が多数派の地域もありました。非常にたくさんの種類の「アメリカ人」が、様々な文化を共存させながら暮らす様子はまさに社会の教科書で読んだ「サラダボール」でした。異なる文化を持つ学生が一緒のテーブルで勉強したり、社会的緊張のある国同士の人々がお酒を片手に笑いあったりする姿を見て、「自分の目で世界を見るとはこうゆう事か」と納得しました。
フィンドレー大学の学生4000人のうち300人以上が他国からの留学生であり、大学職員も学生も留学生に対して理解がありフレンドリーです。フィンドレー大学に日本語専攻のコースがあることもあって、あっという間にたくさんの友達ができました。「アメリカ人の学生と友達になれるかなぁ」と思っていた私でしたが、アメリカ人だけでなく世界各国の学生とも親しくなることができました。アジア、中東、ヨーロッパなど世界各国からの人々と触れ合い、たくさん話をすることもできました。様々な価値観と多種多様な生き方を知り、いかに自分が日本人的な考え方に縛られていたかに気が付きました。「日本では新卒採用っていう言葉がある」と伝えてみると、「そんなに年齢だけにこだわるなんて!もったいない!」と驚いていたのが印象的です。
アメリカで知り合った人々の言葉です。「いつだって自分の好きなことはやるべきだし、挑戦したいことにも積極的に取り組んでいけばいい。」「I’m OK with me.(今の自分でいいんだ。)」おおらかでのんびりとしているけれども、自分と向き合い自分の興味や、自分がやりたい事を大切にする。生涯学習の姿勢が一般的なためか学生の年齢や立場も様々でした。主婦の方や「先週初めての孫が生まれた」という人もいました。世間体を気にし過ぎることなく、常に挑戦することを忘れない前向きな姿勢を持つ人が多く、新鮮な良い刺激になりました。
留学生活について、辛かったことを紹介するのもどうかと思いますが、授業とその課題に慣れるまでが本当に辛い生活でした。フィンドレー大学では留学生は留学生向けの英語学習コースと、普通の学部の授業のどちらかを選んで受けることができます。私は「せっかくの留学だしアメリカ人の学生と同じ授業を受けよう」と学部の授業を履修することにしました。好きな授業を履修することができたので、福井大学では履修できない授業を受けようと考えていたためです。英語の勉強のための英作文?リーディングに加えて、教育学、スペイン語、心理学など興味のある授業を取れるだけ自由に履修しました。
この自由な選択が悲劇の始まりでした。日本の大学と違ってひとつの授業が週に3回あるので宿題の締め切りも授業の2日後になります。もちろん授業や宿題は全て英語。日常会話レベルの英語だけでなく、専門用語が満載の教科書を何十ページも読む必要がありました。毎晩遅くまで勉強し、眠い目をこすりながら授業へ向かう生活が続きました。朝8時から授業。午後1時には授業が終わりますが、発表や課外活動の準備?ミーティングを夜まで行い、夜ごはんの後に授業を録音したものを聞きながら朝2時過ぎまで宿題。「とりあえず楽な生活」を送っていた私にとっては、毎日が鬼のような英語の修行の日々でした。福井大学から同じくフィンドレーに来ていた学生(福井大学でも奨学制度があります)の「英語科やけど、もう英語嫌いになってきた!」という言葉に笑いました。
食べ放題のカフェテリアで1日3食、それに加え夜食を取っても体重に変化はありませんでした。(きっと勉強でカロリーを商品していたのだと思います!)寝不足や授業?発表へのプレッシャーで大変でしたが、それ以上に発表やテストが上手くできた達成感や、英語が上達しているという充実感で毎日が楽しく、あっという間に月日が過ぎていきました。「Time flies! 光陰矢の如し!」友達とよく笑い合っていたことを覚えています。
フィンドレー大学では教授やサークルが毎週末にボランティアを募集しています。また地域と深い結びつきがあるため、日本人の教授も私たちに様々な活動の機会を準備してくださいました。地域のためのボランティア活動や、日本についてプレゼンテーションをする機会がたくさんありました。参加するかどうかは自由なのですが「留学中はできることは全部しよう!機会があれば全てに挑戦しよう!」と決めていたこともあり、可能な限りそうした活動には参加することにしました。
ボランティア活動は日本ではなかなか経験できないことでもあり、貴重な体験をたくさんすることができました。ボランティアなどは週末に行われるため、早い時には土日でも朝6時に集合ということもありました。土日の早起きは辛いもので、ボランティアの後、疲れ切った体で課題に必死になる週末も多かったです。当時のスケジュール帳を振り返ると、予定の詰め込み具合に笑ってしまうほどですが、こうしたボランティア活動や課外活動で多くのことを学ぶことができ、良い選択だったと思います。(大変でしたが???)
地域の学校を訪問し小?中学生に日本についての紹介をしたり、フードパントリーという、企業や小売店から寄付された食糧を無料で配るボランティアに参加したりしました。フィンドレー大学の日本語プログラムが行っている地域の奨学生が日本語を勉強する活動にも参加しました。日本語の先生として子どもたちと歌やダンスで日本語を教えました。日本人に対して理解のある地域であるため、ボランティアで出会った人は皆気さくに話をしてくれました。「初めて日本人と話した!意外と英語喋れるから驚いたよ」「日本では寿司以外に何を食べるの?日本にはピザはあるの?」と地元の高校生に言われたことが印象に残っています。 私はこうした活動に対して、留学の初めのうちは「週末に早起きだし、知らない人と話さなきゃいけないし、英語だから上手く伝わらないし???」といったマイナスの気持ちばかりでした。しかし活動を続けるうちに初対面の人と話すことにも慣れ、自分の英語にも自信が持てるようになってきました。ボランティア等の活動で「ありがとう」と言ってもらえることや、たくさんの人と話し様々な考え方?生き方を知れることが嬉しく、「誰かのため」だけでなく「自分のために働く」という意識も強くなりました。
ボランティア以外にも様々な活動に取り組みました。留学も終わりに近づいた4月に、私たち留学生のアイデアで東日本大震災を振り返るための式典を開くことになりました。震災当時、福井大学からフィンドレー大学に留学していた学生やアメリカ人の学生が千羽鶴を折り、支援金を集める活動をしてくださいました。そうした協力への感謝を示すのも今回の式典を開く理由の一つになりました。「メディアで取りあげられたこと以外にも、私たちの体験談も紹介しよう」ということになり、被災直後の街の様子やボランティア活動の経験談、全国を覆った暗い雰囲気、各地で祭りや卒業式が「不謹慎」という理由で中止されたことなどを伝えました。在デトロイト日本国総領事館の松田邦紀総領事(福井市出身)や、フィンドレー市長、地域の日系企業の方々が来場してくださり、会場は満員になり席が足りなくなるほどでした。たくさんの方々の前にした英語での発表で緊張しましたが、日本を襲った惨劇とその後の復興の様子をしっかりと伝えられたように思います。
式典の後には来場していたアメリカ人の方々から「英語上手だね。素晴らしい発表をありがとう。今後も日本とオハイオ?フィンドレーの良い関係が続くように頑張ろう」と声をかけていただきました。福井に住む私が復興のためにできることは限られていると思っていましたが、小さなことでも日本のために活動できたことに嬉しく感じました。
留学前、私は自分に自信が持てない学生でした。周りの学生に比べると怠け者で、確かな目標も持たずに毎日を過ごしていました。自分が心地良いと感じる環境”Comfort Zone”の中だけで暮らしており、プレッシャーもストレスも無い生活の中で、私は何かに挑戦することを忘れていたように思います。
留学が始まる際に教授にいただいたアドバイス、「留学は自分と向き合い、自分を成長させるチャンスだよ。”Get Out of Your Comfort Zone” 快適な空間の外へ出なさい。」この自ら快適な空間の外へ挑戦するという姿勢が私の留学を支えました。人の成長は常に新しいものへの挑戦とともにあり、自分が心地よく暮らすことができる毎日の中には、成長のチャンスは少ないものです。新しいものに挑戦するにはプレッシャーや不安が伴いますが、そうしたプレッシャーや不安こそが成長の糧になるのだと感じました。
このGet Out of Your Comfort Zoneというアドバイスのおかげで、日本でだらけきって生活していた私からは想像もできない、挑戦の毎日を送ることができました。自分のComfort Zoneから飛び出して数々のことに挑戦し、時には慣れない仕事に不安を感じました。寝る時間も削って準備をすることもありストレスも感じることも多かったです。しかしそうした小さな挑戦の数々が自分の心を強くし、さらなる挑戦へのエネルギーになりました。気がつけば昔私が「あぁ、こんな風にアクティブな人になれたらなぁ」と理想にしていた自分に近づいていたように思います。よく「留学に行くと人生観が変わる」と言います。「そんな大げさな。」と真面目に受け止めていなかった私でしたが、私も留学で自分自身に大きな変化を感じました。留学は自分と向き合うチャンスであり、自分の弱い部分に気が付くことができる機会なのだと思いました。
留学を終えて帰国し、日本の空港に降りた時のことです。「留学は終わっちゃったけど、もっと頑張りたいな。前の自分には戻りたくない!」そう強く感じました。帰国してからは以前「やってみたいなぁ」と思っていたことに積極的に挑戦することができています。ダンスややりたかったアルバイトを始めました。「なんとなく」で過ごしてしまった時間を取り返すことはできませんが、残された時間を精一杯使ってやろうと考えています。(もちろん勉強もしっかりやりますよ!)
もちろん自分を成長させるチャンスは留学だけではありません。日本での普段の生活においても実践できることがたくさんあると思います。「こんな風になりたいな。」「あんなことができたらいいな。」といった憧れは、物事への興味関心であり、自分の背中を押してくれるエネルギーにもなります。人間にとって「興味関心」や「熱中」は、行動するための最も強いエネルギーだそうです。
まだ私も自分に甘く、心に弱い部分もたくさんあります。偉そうなことが言える人間ではありませんが、もし今の自分に満足できず「変わりたい」と思っている学生がいるならば、「意識して生活すれば自分は変えられる」ということを伝えたいと思います。私もこれからも自分の中に芽生えた「憧れ」や「興味」といった芽を大切に育て、いつか自分が誇れる花にしたいと思います。Let’s get out of our comfort zone! 快適の一歩外へ!
詳しい留学の様子や奨学プログラムの内容については、私が書いた月例報告書が役に立つかと思います。福井県国際交流会館のホームページに月例報告書が掲載されています。
(http://www.f-i-a.or.jp/ja/fia/findlay/#finrep)
今回の留学では福井県国際交流会館、福井大学の職員?教授をはじめ本当にたくさんの方々に支えていただきました。このような機会をいただいたことに感謝すると同時に、私も将来福井県のために力になれればと思います。また私の経験や報告書が誰かの役に立つことができれば嬉しい限りです。つたない稚拙な文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。